大阪高等裁判所 昭和46年(う)679号 判決 1976年5月25日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、大阪高等検察庁検察官検事斉藤周逸提出の京都地方検察庁検察官小嶌信勝作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人竹田準二郎、同三橋完太郎共同作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
論旨は要するに、原判決は公訴事実の外形的事実をほぼ認定しながら、右はいわゆるハイドロプレーニング現象という被告人において予見することのできなかつた不可抗力な現象に起因するものであつて、被告人の過失に因るものではない旨判示し、無罪を言渡したが、右は証拠の価値判断を誤つた結果、事実を誤認したものであり、その誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、これを破棄のうえ適正な裁判を求めるというのである。
論旨第一点本件事故の原因について
論旨は、原判決は、いわゆるハイドロプレーニング現象が具体的に発生するための諸要素の存否につき深く検討せずして、このような現象が発生する事態を安易に認定し、ひいては本件事故が部分的ハイドロプレーニング現象により生起したと認めるの誤りを犯したものであつて、本件は単純なスリツプ現象に因るものであると主張するものである。そこで、検討するに、
一本件事故の概要
被告人は、昭和四一年七月一八日午後四時二五分頃、日本高速自動車株式会社の大型バス(名古屋二う一七〇号)を運転して、京都市東山区山科勧修寺起点54.5キロポスト(以下いずれも西宮起点)付近の、直線、一〇〇〇分の一七の下り勾配で、当時折りからの強度二(強)の強い雨で路面が濡れていた名神高速道路上り車線(アスフアルトコンクリート舗装)を、京都方面から名古屋方面に向け、ギヤーをオーバードライブ(第五速)に入れた状態で、ハンドルを直進に保持し、ブレーキ及びアクセルを踏み込むことなく、時速約九五、六キロメートルで右坂を下降走行中、勧修寺橋東北角から東方へ約17.6メートルの地点にさしかかるや、突如車体が左方へ横滑りしたので、ハンドル操作によつて進路を立て直そうとしたが果せず、同車を約二五〇メートル間にわたつて蛇行させたうえ、54.8キロポスト付近において、進路右側の中央分離帯に乗り上げて横転させ、その衝撃により乗客一名が死亡したほか、六名の乗客及び車掌が公訴事実記載の傷害を負つた。(証拠原判示第一挙示の各証拠)
二ハイドロプレーニング現象発生に関連する諸要素の具体的検討
(一) 本件バスは、日野RA一〇〇型四〇年式、車量重量一一、三二〇キログラム、乗車定員四二名、本件当時の乗車人員九名(うち乗客七名、車掌一名)、車両総重量一三、六三〇キログラム、長さ11.5メートル、幅2.49メートル、高さ3.10メートル、デイーゼルエンジン、高速バス用のブリジストンタイヤ一一一〇〇―二〇、一二ブライン六本(前軸左右各一輪、後軸左右各二輪)を装備していた。右タイヤのトレツドパターンはリブパターン、四本溝であり、このタイヤの新品時のトレツド溝は17.2ミリメートルであるところ、装備していたタイヤのトレツド溝の残溝は、前輪が11.0ないし14.0ミリメートル、後輪が3.5ないし5.3ミリメートルで、タイヤ空気圧は一平方センチメートル当り五ないし六キログラムであつた。本件バスには事故当時までかじ取装置、制動装置、その他につき事故原因となるような異常、整備不良個所は認められなかつた。<別紙証拠省略>
(二) 本件バスの速度計は、事故当時時速約九二キロメートルを表示していたが(装備していたタコグラフによる。)、本件バスの速度計は、実際の走行速度より時速三ないし四キロメートル低く表示していたので、本件バスの事故当時の速度は時速九五、六キロメートルであつた。<証拠省略>
(三) 本件現場道路の54.8キロポスト付近における時速八〇キロメートルの湿潤路面の摩擦係数は橋上で0.365、橋の上以外の車線で0.361であり、一般道路の限界値を線形良好なところで、時速六〇キロメートル、三〇度Cのときを0.4とすると(交通工学研究第三巻)限界ぎりぎりの路面であり、名神高速道路中でも最も摩擦係数の小さい路面の部類に属する。完全なハイドロプレーニング現象が発生するに充分な水深が路面上に存する場合には、道路路面自体のすべり易さ、即ち摩擦係数はもはや影響を及ぼさなくなるか、あつてもその影響を及ぼす度合はかなり小さいのに対し、部分的ハイドロプレーニングの場合にはタイヤの接地面の度合により、道路路面自体の摩擦係数が多分に影響し、場合によつてはハイドロプレーニングが完成したに近いような摩擦係数の低下状態に立ち至ることがある。そして、雨の降り始め直後頃は、路面やタイヤに付着していた油、土砂、ほこり等が雨水に流れ込んで混り、粘性を帯びるようなことになることから、一般の湿潤路面よりもさらにすべり易い状況となる。<証拠省略>
(四) 京都地方気象台の観測によると、本件当日午後三時三七分に弱い俄雨が降りはじめ、同五八分強度二(強)となり、午後四時二九分強度一(並)に変り、同三〇分強度零(弱)となり、同五〇分に降りやんでいる。その間の時間雨量は午後三時から四時までの一時間に1.6ミリメートル、午後四時から五時までの一時間の雨量は20.9ミリメートルを記録した。これによれば、午後三時五八分から約三〇分間は強度二(強)のかなり強い雨が降り、その前後は小降りで雨量も少なく、このような雨の降り方、強弱、降りやみ具合からして、右の午後四時から五時までの一時間の雨量20.9ミリの大部分は右強度二(強)の強い雨が降つた約三〇分間の雨量とみて不合理ではないと認められる。<証拠省略>
そして、本件バスが午後四時二二分分頃京都深草バス停留所で乗客一名を降車させた時は小降りであつたが、通称ケンカ山の頂上にさしかかつたころから急に大粒の雨がかなり強く降り始め、同二五分頃に本件事故が発生したころにも強く降り続けていたが、その後実況見分が始つた同四五分ごろには雨は降つたり、やんだりの状況になつていた。本件現場の雨の降り始めと京都気象台の観測結果とに時間的に若干ずれがみられるのは、俄雨を降らせた雨雲の移動状況等によると推認され、いずれにしろ二、三〇分間に強度二(強)の相当強い雨が降り、その間の雨量も二〇ミリメートルに近いものがあつたのではないかと推認される。<証拠省略>
ところで、検察官は、本件道路の路面は水はけをよくするため中央分離帯から路肩に向つて一〇〇〇分の二の勾配で傾斜がつけられていたので、路面に降つた雨水はそのほとんどが路肩の方へ流れ去るから、雨が強く降り出した通称ケンカ山頂上付近から本件事故現場までの約2.3キロメートルを時速約九六キロメートルで走行する約1.4分間に原判決認定の三ないし八ミリメートルもの雨水が路面上に存したとは到底認め難いと主張する。
そこで検討するに、通称ケンカ山頂上(52.5キロポスト)から54.0キロポストまでは、一〇〇〇分の二五の下り勾配、54.0キロポストから54.8キロポストまでは一〇〇〇分の一七の下り勾配で、55.2キロポスト付近からは上り坂となつていて、現場付近は谷底状の底辺に近い位置にあつて、ケンカ山頂上から本件事故現場まで約2.3キロメートル走行する間に38.86メートル降下する下り坂であつた。現場付近の道路は、昭和四〇年六月七日追越車線を、同月一一日走行車線を補修したが補修状況が悪かつたので、同月二〇日頃追越車線全部と、走行車線(巾3.70メートル)の追越車線寄りの巾三メートルの部分を再舗装したこと、走行車線の路肩寄りの再舗装しなかつた巾七〇センチメートルの部分において、路肩側へ約三〇センチメートルの巾にわたつて舗装の色が異り、この三〇センチメートルの部分は、高さ二ないし三ミリメートル程度盛り上り、かまぼこ型になつている。補修、再舗装した当時はこのような高低がなかつたが走行車線を走行の自動車は略同じ個所を通行しており、その車の重みで断ぎ目の舗装が圧せられてふくらみ、右のような盛り上りができたとみられる。しかして、本件道路は水はけをよくするために、中央分離帯から一〇〇〇分の二〇の勾配で路肩の方へ傾斜がつけられているから、勾配のない平らな道路であれば、雨水はほとんど路肩の方へ流れ去つてしまうことになるけれども、本件道路は右にみたように一〇〇〇分の二五ないし一七の下り勾配であるうえ、走行車線の再舗装した部分としなかつた部分との継ぎ目部分が高さ二ないし三ミリメートルのかまぼこ型の盛り上りとなつていることから、これが障壁となつて、雨水が路肩の方へ流れ去ることをそれだけ防げる状況にあることからして、雨水のうち相当程度のものが坂の下方に向つて流下するものとみられ、ケンカ山の頂上から本件現場付近まで約2.3キロメートルの長い下り坂となつていることからして坂の下の方へ行けば行くほど水は多くなること、前記認定のように当時の雨は夏の俄雨で短時間に相当強く降つたと認められることをもあわせ考えると、本件現場に本件バスが差しかかつたころに路上の雨水が原判決認定のように三ないし八ミリメートル程度あつたとする認定が全く不合理であるとはいえず、少なくとも三ミリメートル程度の雨水が路上にあつたとすることまでも否定し去ることはできないと考えられる。<証拠省略>
以上を総合するとき、本件バスと事故現場の路面との関係において、鑑定人らがハイドロプレーニング現象(以下特にことわらないときは、完全なもの及び部分的なものを含む。)が発生するための要素として掲げていた諸要件を相当程度備えた状況下にあつたと認められ、少なくともハイドロプレーニング現象が発生するような状況ではないと断じ得るまでのものは見出すことができない。
三当審における鑑定の結果
(一) 原判決の根拠とされた原審鑑定人佐竹政俊、同近藤政市、同大久保柔彦の述べるところは、いずれもアメリカ合衆国航空宇宙局(以下TNSAという。)の資料、数式に基づくものであり、本件がいわゆるハイドロプレーニング現象の際にみられる状況と類以性を有するものの、本件を右数式にあてはめるとき、ハイドロプレーニング現象発生の限界速度がかなり高速になることから、本件について原判決の認定するように部分的ハイドロプレーニング現象が発生していたといえるかどうかが疑問となるところ、検察官はこの点をとらえて、ハイドロプレーニング現象発生に関連する諸要素との関係でより具体的検討をしたうえでなければ本件事故を部分的ハイドロプレーニング現象の発生によるものであると結論付けることはできないとして、具体的条件のもとでの鑑定を申請した。そこで、当裁判所はこれを採用して、財団法人日本自動車研究所酒井秀男を鑑定人として本件証拠上認め得る事故当時の客観的条件にできるだけ即応したタイヤ(銘柄、トレツドパターン、残溝の深さ、空気圧)、速度、路面、水深(本件当時の路面上の雨水がどの程度あつたかについて争いがあることは前記認定のとおりであるが、鑑定にあたつては水深三ミリメートル、九ミリメートルの二つの場合を設定して行つた。)、車両重量(本件当時の乗員は、定員四二名に対し九名であり、積載時よりはむしろ空車時に近い。)等に基づき、本件バスのハイドロプレーニング現象(完全なもの及び部分的なものを含む。)発生の有無並びにその際の車輪と路面の摩擦係数等の鑑定を求めた。同鑑定人は、同研究所の実験装置により実験を重さねた末、鑑定結果を出した。その要点は以下のとおりである。<証拠省略>
(1) 時速九五キロメートル時において、
(イ) 本件バスの前輪については、トレツドが摩耗していないので、ハイドロプレーニング現象の発生する速度がかなり高く、事故当時前輪による修正操舵がある程度可能であつたことからみて完全なハイドロプレーニング発生までには至つておらず、完全なハイドロプレーニングを一〇〇とした場合一〇パーセント程度の部分的ハイドロプレーニング現象が発生し、前輪はすべつていないと考えられる。摩擦係数は、路面上の水膜の厚さ九ミリメートルにおいて、空車時約0.167、積載時約0.172であり、水膜の厚さ三ミリメートルにおいては右係数より大きくすべりにくい。
(ロ) 後輪については、トレツドが摩耗していたために、ハイドロプレーニング現象が発生し易くなつており、水膜三ミリメートル、九ミリメートルのいずれの場合も、また空車、積載時とも完全なハイドロプレーニング現象が発生する直前にあり、接地している部分は非常に小さく、非常にすべり易く危険な状態にあつた。摩擦係数は、路面上水膜の厚さ三ミリメートルにおいては、空車時0.04、積載時0.044、水膜の厚さ九ミリメートルにおいては、空車時0.022、積載時0.028である。
(2) 摩擦係数が0.1(横加速度0.1Gに当る。)以下になれば車両の走行安定性の点から極めて危険な状態になる。本件道路の横断勾配が路肩側に一〇〇〇分の二〇(横加速度0.02Gに当る。)あるので、後輪について右方向からの横風が最初の左横滑りを発生させた外乱(自動車自体の欠陥、異常、運転操作によるもの以外のいわば外部的影響力・原因をいう。)となりうる可能性がある。
(3) 横滑りを起しはじめてから蛇行運転が生じ、これが発散して行く過程は、車両の後輪がすべり易い不安定な状態に現われる特有の現象である。
(4) NASAのハイドロプレーニング現象発生に関する限界速度算出数式はタイヤ断面が丸型の航空気タイヤを主にした実験式であり、バスタイヤのように接地部がフラツトになつたタイヤでは接地面積が大きくなるので、ハイドロプレーニング発生速度は低くなり、NASAの右数式には合致しない。
(二) 検察官は、酒井鑑定の「前輪は滑つていない。最初に後輪が滑り出した。」という鑑定は、被告人の検察官に対する「前輪が油の上に乗つたように感じた。」という供述と微妙に喰違うとして酒井鑑定の証拠価値に疑問を示している。しかしながら、「前輪が油の上に乗つたように感じた。」という供述は、本件事故発生後二年経過した昭和四三年七月九日付の検察官に対する供述調書<証拠省略>になつてはじめてあらわれてくるのであつて、事故後間もないころの司法警察員、検察官に対する各供述調書<証拠省略>にはいずれもそのような表現はなく、「車が浮いたような油の上に乗つたような感じがした。」と供述し、前輪部分に限定せず、車体全体のこととして供述しているのであつて、特段の事情も認められないことよりして、事故後間もないころの表現の方が信用性が高いものと認められる。そしてまた、酒井鑑定人が、後輪がゆるやかにすべり出した場合、運転者は車両全体の動きを感じながら運転しており、ハンドル操作をしていないにもかかわらず、車両が予期しない方向に動くので、ハンドルがきかなくなつた感じ、すなわち前輪がすべつているような感覚を覚えることがあるものと考えられ、被告人が捜査官に対する供述調書で、「油の上に乗つてハンドル操作が定まらないようになり……」、「実況見分調書①の地点で横にすべつたときは後から押されるような感じでした。」と供述している点を考えあわせると、酒井鑑定人の最初に後輪がすべり出したとしても矛盾はないとする見解に格別の不合理性は見出し得ないし、その他酒井鑑定の証拠価値を否定ないしは減弱化せしめるような事情は認められない。
四当初の横滑り原因について
被告人が捜査官に対する供述調書及び原審公判廷において供述するところの、「走行車線を直進走行中、突然車が浮いたような、油の上に乗つたような感じ」、「ハンドルが軽くなり、ハンドル操作が定まらなくなつたようになつた」という事故当時の感覚表現は、それがいまだハイドロープレーニング現象なるものが一般に知られていない当時のものだけに、真実味があり、かつ、それがハイドロープレーニング現象を体験した自動車運転者が感ずる特有の感覚であること、前記二で検討したように、本件についてはハイドロープレーニング現象発生のための諸条件が相当程度備つていたことを否定し難い状況にあること、並びに酒井鑑定の内容を総合して考えるとき、本件バスの当時の状況は、酒井鑑定の結果の通り、前輪はごく弱い部分的ハイドロープレーニング現象が発生していた程度のすべり易さ、後輪は完全なハイドロープレーニング現象が発生する直前の極度にすべり易く危険な状態にあつたものと認めるのが相当であると考えられる。
ところで、被告人は、当時ハンドル操作も、ブレーキ操作もせず、直線道路の坂を時速九五、六キロメートルで直進降下中であつたものであり、車体自体に格別の異常欠陥はなく、また衝撃を受けるような路面の凹凸も認められないことよりして、本件バスを左方へ横滑りさせたモメントとしては、本件バスが右のような部分的ハイドロプレーニング現象発生の状況下にあつたことがもつとも大きな要素となつて、通常走行下では車両の走行に対し全く影響を及ぼさないといつてよいような、道路横断面が中央分離帯から路肩方向へ一〇〇〇分の二〇の傾斜角が付けられていることや、右方からの横風などの外乱が相乗的に作用したものと推認されるのであつて、本件記録を検討してもこれを覆して他の原因を見出すことはできないのである。<証拠省略>
してみると、本件事故の原因として部分的ハイドロプレーニング現象と僅かの外力によるものと認定した原判決は相当であることに帰するので、事実誤認があるというを得ない。
論旨は理由がない。
論旨第二点予見可能性について
そこで右事態の発生が、昭和四一年七月一八日の本件当時、被告人と同じ立場に置かれた自動車運転者に、一般に予見可能であつたか否かを検討する。
検察官は、湿潤した路面においては、自動車の走行速度が増大するに従つて車輪タイヤと路面との摩擦係数が低下し、いわゆるすべり易い状態となることは、自動車運転者の常識となつていたところである。この摩擦係数が最も減少したいわば極限状態を完全なハイドロプレーニング現象といい、この現象の形成過程においてそれに近い状態のものとして部分的ハイドロプレーニング現象があるのであつて、現象的には自動車タイヤが路面に接しているかどうかで異なつたものがみられるけれども、結局は摩擦係数の度合いの違いであつて両者は異質のものではない。そして、ハイドロプレーニング現象という名称あるいは現象の正確な内容についての理解がなかつたにしても、それに至る道程に至るスリツプ現象そのものについては、自動車運転者の知悉していたところであつて、雨の日はすべり易いから高速で走行してはいけないということは、運転上の常識であつたから、被告人は横滑りが発生することは当然予見できた筈である、というのである。
そこで案ずるに、一般に湿潤した路面においては、自動車の走行速度が増大するに従つてタイヤと路面との摩擦係数が低下してすべり易い状態となり、制動をかけたときに制動距離が路面の乾燥した状態のときと比較して著るしく長くなるとか、曲線走行時において遠心力にうちかつだけの充分な摩擦力がタイヤと路面にない場合に外側に横滑りすることがあるとか、急ハンドル、急ブレーキ、急発進、急加速等急激にタイヤにより湿潤路面に力を加えたときは、必ずしも前後左右のタイヤ全部が均一の加重、条件にあるとは限らないことから横滑りする事態があり得ることは、自動車運転者の常識となつていたこと、被告人も湿潤した路面がこの意味でのすべり易い状態になり得ることを認識しながら本件バスを運転したものであることが明らかである(以下これを「第一の場合」という。)。問題は、湿潤路面を高速走行する場合にあつても、急ハンドル、急ブレーキ、急加速のいずれをもせずに、単純に直線道路をほぼ均一の速度で直進するだけの状況下で、通常の自動車運転の際にはほとんど影響力を無視してよいような小さな外乱により横滑りを生じさせ、しかもハンドル操作によつて進路を立て直させることができないほどの極度の摩擦力の低下した状態、すなわち極度にすべり易い状態が生じ得ることを認識することができたか否かということである(以下これを「第二の場合」という。)そして、この場合ハイドロプレーニング現象という名称、あるいは同現象の正確な内容についての理解までは必要ではないけれども、右「第一の場合」程度のすべり易い状態にとどまらず、「第二の場合」のような極度にすべり易い状態のあり得ることを認識し得たかどうかということである。しかもそれが専門家や特定の運転者が認識し、あるいは認識し得た状況にあつたというのでは足らず、一般的に自動車運転者ことに高速バス運転者が、本件当時に、認識し、あるいは認識し得たものでなければならないこというまでもない。そこで、この見地から本件当時の時点に立ち、以下さらに検討を加えることとする。
一自動車が湿潤路面を走行する場合、その重量、水の流動性からいつて、タイヤが路面上の水を切つて進行するので、タイヤトレツドと路面の接触は保持された状態で走行する。湿潤路面に比し摩擦力が弱いことから、それだけ湿潤路面走行時にはタイヤと路面間の粘着力が低下するためすべり易くなる。また、高速になるに従つて、タイヤが完全に水を全部排除し切れないで前進するようになるため、それだけタイヤと路面間の粘着力は弱まるが、なおその場合でもタイヤトレツドと路面の接触はそれほど低下しないから、粘着力、摩擦力が著るしく低下するというようなことはない。ちなみに名神高速道路の湿潤時の路面すべり摩擦係数は、昭和四一年八月三〇日から同年九月二日にかけての測定結果によると、全線を通じて時速六〇キロメートルのときは0.5ないし0.6(最低0.392)、時速八〇キロメートルのときは0.4ないし0.5(最低0.304)である。これが当時の一般的認識であつた。
ところが、かねてアメリカ合衆国では、湿潤滑走路に航空機が離着陸する際に、安定性を欠く状況を呈する事例の少なくないことに着目して、NASAで実験検討が重さねられ、ある程度の深さのある水が路面にあるところを高速で走行するときは、速度が上るに従いタイヤトレツドの前面と路面との間に水がくさび型に入り込み、動水圧が働いてタイヤが押し上げられる力が働き、速度上昇とともに次第にタイヤトレツドと路面間に形成される水膜が成長して、ついにタイヤが水膜の上に完全に乗つた状態となり、路面の摩擦力は殆んど全くタイヤに伝わらなくなり、あたかも油の上に乗つたような状態となつて、摩擦係数は絶対的零ではないにしても実用的にはほとんど零に近くなり、そのためごくわずかの外力が加わつてもタイヤが横滑りするという安定走行性を失つた状態となるメカニズムが解明されるに至つた(タイヤが水膜の上に完全に乗るような状態を完全なハイドロプレーニング
二次に、このようなハイドロプレーニング現象の内容及びメカニズムが自動車運転者に知られていなかつたとしても、右「第二の場合」にあたるような事態の発生は、自動車運転者一般に、ことに名神高速道路の高速バス運転者一般に体験されていたところであり、ただその原因が末知であつたにすぎないといえるかどうかについて検討する。
(一) アスフアルトコンクリート舗装道路でハイドロプレーニング現象が発生するための要素としては、路上に一定以上の水深のある水があること、時速一〇〇キロメートル近い高速走行、その他前記第一で検討したようなタイヤの状況、空気圧等これを満すに足る諸事件が備わつてはじめて発生するものであるだけに、最高制限速度一〇〇キロメートルという高速が認められていなかつた名神高速道路開通以前においては、一般の自動車運転者には体験し得る余地はまずなく、かつ、高速道路を通行したことのない自動車運転者にとつても同様である。また、高速道路をひんぱんに走行している高速バス運転者にしても、高速走行に適合した路面舗装、摩擦力、水はけのよさ、道路の保守管理の行き届いた高速自動車道において、ハイドロプレーニング現象が生じ得るような条件を満す事態、それに相応するような極度にすべり易い状態に遭遇することがそれほど多くあつたとは容易に認め難いのである。
(二) 検察官は、ハイドロプレーニング現象といい、通常のスリツプ現象といつても結局は摩擦係数の度合い、すべり易さの度合いにすぎず、また部分的ハイドロプレーニング現象はその程度に広い巾のあるものであり、その最小の場合は一般湿潤路面の場合に接することになるから、これらはいずれも異質のものではないと主張する。なるほど摩擦係数の尺度の上に乗せれば、極めて条件のよい乾燥路面、一般乾燥路面、部分的ハイドロプレーニング現象を発生させるような湿潤路面、さらに完全なハイドロプレーニング現象を発生させるような湿潤路面の順序で並べ得るし、それに相応して走行速度との関係で摩擦係数が一から零まで順次低減していくことは理論上は考え得るけれども、自動車運転の実際にあつて、一般い自動車運転者、高速バス運転者に、右「第一の場合」のすべり易い状態にとどまらず、「第二の場合」のすべり易い状態まで体験として身につけていたと果していえるのであろうか。すべり易さの感覚というものは、その程度が表現しにくいものであるだけに、その比較もまたむずかしいのであるが、これをよりわかりやすく具体的に比較するため氷上走行、固い雪上走行の場合を考えるとき、この場合のタイヤと路面との摩擦係数は固つた雪上で0.15、氷上で0.07であるとされている(最高裁判所事務総局「交通事件執務提要」法曹会発刊一六三頁)ことと、前記酒井鑑定の本件バスの事故当時のタイヤと路面の摩擦係数が前輪で約0.17、後輪で0.04と対比するとき、本件バスの事故当時のすべり易さの程度は、前輪が固い雪上を、後輪は氷上を走行していたのとほぼ匹摘するとみてよいと思われる。そうすると、冬期寒冷地の道路上を走行する場合ならともかく、真夏の高速道路において、一般的に、自動車運転者、高速バス運転者が、雨中を時速一〇〇キロメートル近くで走行する際に、固い雪上、氷上を走行するのと同程度のすべり易さを感覚的に体得していたとは認め難いし、またこのような状態までも認識し、あるいは認識し得たとも認め難いのである。ちなみに近藤政市鑑定人も、ひどい雨中を時速九〇キロメートル以上の高速で高速道路を走行する場合には、警戒しなければならないという程度のことは、当時においても心ある運転者は承知していたと思うが、油の上に乗つたようなすべり易い状態が起ることまで体験的に知つていたことはなかつたと思うと述べて、同様の見解を示している。<証拠省略>
(三) 検察官はまた、(1)被告人が勤務していた日本高速自動車株式会社の運転手仲間では、本件事故現場付近がすべり易く車がジグザグで進んだというような話が取り交されていた。(2)日本国有鉄道の運転手の間では本件現場がよくすべる場所であるとの話しがあつて、本件事故発生前から右現場の走行速度を法定の時速一〇〇キロメートルから八〇キロメートルに自主規制をしていた。(3)被告人は昭和四〇年三月六日頃から事故当日まで一年四か月間、月に一五ないし二〇回の割で定期的に高速バス運転手として本件事故現場を走行する経験を有していて、被告人において、降雨により路面の湿潤した下り匁配の本件事故現場を高速走行することは極めて危険であることは、その業務上当然に認識していた、と主張する。
なるほど、検察官指摘の証拠により(1)(2)の主張事実が一応認められるけれども、本件事故発生後、名神高速道路に高速バスを走らせていた三社において事故調査のため所属の運転者に聞いて調べたところ、本件現場付近の区間で、走行中に車体が尻を振る感じがしたことがあるという運転者がいたが、それひ各社とも二、三名程度であつたこと、本件事故後若干スリツプした事例があつたがその程度は軽微なものであつたため事故にまでは至らなかつたということ、本件事故現場付近の道路が非常にすべり易いというようなことは、当時警察や日本道路公団等から公表されていなかつたこと、被告人の勤務していた日本高速自動車株式会社及び日本急行バス株式会社において、当時、本件現場付近道路がすべり易いとして自主規制や特別の指導がされていたようなことはないこと、被告人が同僚の運転手から滑り易い場所として聞いたところというのは、山科のバス停を越えた上り坂にかかる付近であつて本件現場とは場所的にことなること、被告人は日本高速自動車株式会社が昭和四〇年三月六日開業以来、名神高速バスの運転に従事し、その間多数回にわたり本件事故現場をはじめとする高速道路上を、時速一〇〇キロメートル近い高速で走行していた者であるが、その間、ハンドルやブレーキ操作をしないのに車輪が浮いたようになり、通常のハンドル操作ができない状態になつた経験は一度もなかつたことが認められる。<証拠省略>
しかして、すでに検討して来たように、高速バス運転者の間において話題となつたことがあるというすべり易い状態というのが、右「第一の場合」の状態にとどまらず、「第二の場合」の意味でのすべり易い状態をいうのかは疑問があり、かつまた、高速バス運転者の中には雨中の高速走行下で「第二の場合」のすべり易い状態になる状況を体験として感得していた者が全くないとまではいえないにしても、これが高速バス運転者において一般的に体験していたところであるとか、自から体験しなくともその体験を他から正確に聞いてこれを知悉していたのが一般的状況であるとまではたやすく認め得ないのである。
(四) 本件事故が発生した当時、それが雨中の高速走行下であるとはいえ、ハンドル、ブレーキ等運転者として格別の操作もしていないのに拘らず、しかも強風が吹いていたというような状況下でも、路画に大きな凹凸があるというのでもないのに、車体が横滑りし安定性、操縦性を著るしく欠く状態に陥つて蛇行、横転したという事故の形態、即ちそれまでに湿潤路面における事故として考えられて来た「第一の場合」のすべり易い状態から発生するスリツプ事故とは大きく異なる事態に対し、本件事故発生直後もたれた日本道路公団、運輪省陸運局、京都府警の合同調査会議では原因不明の事故とされて、科学警察研究所交通部に引継がれ、同部において本件現場路面の調査、被告人の供述等本件関係資料の検討の結果、さきのNASAの文献に基づき、ここにはじめて、雨中等路面に水が溜つたところを高速走行する場合には極度にすべり易い状態になり、ハンドル、ブレーキがきかなくなり、安定性、操縦性を失うに至つて、わずかの外乱により横滑りする事態のあることが明らかにされ、これが報導機関を通じて広く一般の自動車運転者に知らされ、また自動車運転の教材や交通の方法に関する教則等自動車運転に関する書籍に掲載されるなどして、雨中の高速運転に際して「第二の場合」の極度にすべり易い状態が起り得ることは、その後においては自動車運転の常識となるに至つた。他方名神高速道路に高速バスを走らせている日本国有鉄道、日本高速自動車株式会社、日本急行バス株式会社は、本件事故が今迄にない事故であるため、合同して事故原因の究明と運転上の検討をしたが、結局本件道路の舗装に問題があるのではないかとして、日本道路公団にその善処方を求めるとともに、本件現場道路を走行する際の速度を時速八〇キロメートルに自主規制して高速バスを運行させる対策をとつた。その後昭和四一年八月六日正式に同所の最高制限速度が時速一〇〇キロメートルから時速八〇キロメートルに改められるに至つた。このような事態の推移に徴すると、当時としては、単に事故原因が未知の事柄であつたというだけでなく、「第二の場合」のような極度にすべり易い状態のもとでの事故自体がそれまでにほとんど経験されたことのない稀有な事例に属するものであつたと推認される。<証拠省略>
以上を総合して検討するとき、本件当時、被告人のような立場におかれた自動車運転者、ことに高速バス運転者一般に、「第二の場合」のような極度にすべり易い事態までの予見可軽性はなかつたといわざるを得ない。
三ところで、検察官は、雨中の路面はすべり易い、あるいは雨天の高速走行はスリツプし易いという認識がある以上、高速走行下の横滑りという事態から発生した本件結果に対し被告人に過失責任があると主張する。しかしながら、過失犯は、行為者に予見し得る事態に対応した回避措置をとらせることに意義があること、及びそのことから予見可能性の対象となる事態も漠然としたものでは足らず、行為者のおかれた立場において、結果発生の回避手段をとり得る程度の具体的内容をもつたものでなければならないから、当時の自動車運転者、高速バス運転者一般に、いまだ事態の発生がありうると認識されるまでには至つていなかつた「第二の場合」の事態までも考慮に入れた運転をすべき注意義務まで負わすことはできない。したがつて雨中の高速走行はスリツプし易いという認識がある以上、その内容、程度を問わず、それが一般的に予見可能性のない「第二の場合」の事態であつても、それがスリツプという類型のものにあてはまる以上、責任を負うべきであり、一般的に予見し得る「第一の場合」の事態のみならず、「第二の場合」の事態をも考慮に入れて運転すべき業務上の注意義務があるとする所論は採用しえない。
してみれば、本件当時被告人は、「第一の場合」の事態を予測して、車間距離を長くとるとか、カーブを走行する際にはあらかじめ減速するとか、急ハンドル、急ブレーキ、急発進、急加速など急激な運転操作を避けるべき注意義務があるけれども(本件はこのような注意義務違反が問題とされている事案ではない。)「第二の場合」の事態を予測した減速義務があつたということはできない。したがつて、本件現場における横滑りをしたことにつき予見可能性は認められないとした原判決に事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
論旨第三点横滑り以後の過失について
論旨は、被告人は高速バスが滑走を始めてからは、急激なハンドル操作、制動操作をしてはならないのに、周章狼狽して、ハンドル、制動操作をした過失を重さねた結果、本件バスを横転させたものであつて、この点の過失を認めなかつたことについても事実認誤があるというのである。そこで検討するに、
一検察官は、二五〇メートル間滑走する約九秒の間に、四五度以上のあそびのある本件高速バスのハンドルを被告人は三回も操作したのであるから、ハンドル操作としては、滑走中絶えず、右、左、右という風に大きく廻転させていたと認めるべきであつて、急激なハンドル操作をしたものとは認められないとした原判示は肯認できないと主張する。
しかしながら、本件で問題となるハンドル操作は急激に進路変更をきたすようなハンドル操作であつて、ハンドル自体の転把角度の大きさ自体を問題とすることではないから、二五〇メートルにわたつて約九秒間滑走する間に四五度以上のあそびのある本件バスのハンドルを三回操作したからといつてそれが急激な進路変更となるようなものでない限りは非難すべきものとはいえないのである。被告人のハンドル操作を検討するに、被告人が急激に進路変更となるハンドル操作をしたとは認められないのであつて、むしろ正常な進路に車を立て直すべく進路修正のため必要な限度でハンドルを切つたが、実際のハンドル操作以上に、車体が左右に滑走して行つてしまつたものと認め得るのである。そして、被告人が意図したような進路修正のためのハンドル操作が効を奏せず、むしろ舵行してしまつたのは、本件高速バスの前輪による修正操舵が可能であつたとはいえ、前記第二で認定したように当初の部分的ハイドロプレーニング現象が若干の間ではあるが持続し、その後これが解消して行く過程と、湿潤路面自体がすべり易い状態にあつたことから、タイヤと路面の粘着力が充分でなく、かつまた当初の横滑りによつてもたらされた後輪の不安定性、車体のローリングの拡散過程のためであつたと認められるのである。そしてまた被告人が急激な制動操作をしたとも認められないのであつて、被告人はむしろこの場合にとつては却つて危険を増大させることになるフートブレーキ操作を避け、排気ブレーキの操作をしているのである。<証拠省略>
二本件公訴事実は、本件高速バスのタイヤと路面とが接している単純なスリツプ現象の場合を前提として、沈着適切なハンドル操作をすべき注意義務を履行しなかつたことの責任を問うているのであるが、本件が単純なスリツプ現象ではないことはこれまでに説示してきたとおりである。また、自動車が路面を滑走するに至つたときは、ハンドル、制動等の操作をすることなく、滑走状態の消失を持つのが最善の策であることは所論のとおりであるけれども、かような滑走状態に対処する方法を意識的に、あるいは無意識下にあつても正確な反射作用としてなし得るだけの沈着度と習熟度を備えた運転者でなければできないことがらであつて、被告人と同一の立場におかれた自動車運転者一般において右措置に出るこことができるとはたやすくこれを認めることができない。ことに、滑走時の運転操作技術を体験的に習得させる体制にないわが国において、本能的・反射的な危険回避のためのハンドル操作を控え、理論的適切さを備えた操作をすることまで要求することは通常の運転者の能力からいつて酷に失し、社会的妥当性がないというべきである。そしてまた、中央分離帯に乗り上げた時のフートブレーキ操作、ハンドル操作に至つては公訴事実上過失行為として訴因に掲げられていないことであるし、そこまでの注意義務を求めることは不可能をしいるものであつて認容しがたい。なお、鑑定人らが、滑走後の最善の対応策としては、「理論上は滑走状態の解消を待つため成り行きにまかせ、ガードレール等への衝突をも辞さぬ態度をとるべきものであるが、一般の運転者にとつては至難のことであろう。」としているのも、突発的異常時における望ましい運転技術と実際上の操縦の困難性との差異の大きさを端的に表現しているものといえよう。<証拠省略>
以上、検討して来たところを総合すると、横滑り後の事態につき被告人に過失行為があるとまでは認められない。したがつて、原判決に事実誤認の違法は認められない。論旨は理由がない。
右の次第であるから、本件交通事故は、被告人の業務上の過失に因るものとは認められないとして、被告人に無罪を言渡した原判決は正当である。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(矢島好信 吉田治正 朝岡智幸)
(別紙) 証拠<省略>